母の点滴抗がん剤の様子を過去に目の当たりにした。
詳しくはこちらに記載しています。
超短期間で母が骸骨のようになってしまったのを実際に見た。
自分で言葉にするのも悲しいが、母と認識できないくらいの変貌であった。
その変貌の前後の間にあったのが点滴抗がん剤。
この文章で、読んだ人に恐怖を与えたくはないのだが、
私がその時感じた恐怖を言葉に出すとこういう表現になった。
母の治療からの反省を考えると、正直、私は受けたくない。
受けたくない!!骸骨になりたくない!!
と思っていたが、まさかの自分が選択の必要の有無に迫られるとは。。。
抗がん剤をうけて、大成功した人だって、いっぱいいるのは、頭では理解できる。
ただ、
母の姿を目の当たりにした私には、母の姿が100%の結果として記憶に残ってしまった!!
受けたくないので、
なぜ受けるか、受ける必要があるのか、受けたらどうなるか、受けなかったらどうなるかの説明の時は、
一言一句聞き漏らさないように、耳に全神経を集中させた。
・なぜ受けるか
→目に見えない癌細胞を予防的に叩くため。(私は、胃全体と胃周りのリンパ節にも癌細胞あった。)
・なぜ受ける必要があるか
→受けなくてもいい。選択するのは患者本人。ただ、受けた方が予後のDATAがいいので薦める。
・受けたらどうなるか
→副作用がでる。色々な症状あるが、大きくて避けられない副作用は脱毛。100%起きる。その他は個人差が大きく、脱毛以外の症状は大きくでない人もいる。そして5年後生存率が受けないより高い。
・受けなかったらどうなるか
→5年後生存率が受けるより低い。
胃癌ステージⅢの5年後生存率は50%。
2人に1人。
すごい確率だ。
こんな確率をみて、自分が近いうちに死ぬかもって考えない人はいないんじゃないか。
私は考えた。
子供が小さい。
まだ、死ねない。
生存率が少しでも高くなるなら、
副作用が、ドラマや母のように大きく出る、というわけでもない可能性があるなら、
受けよう。
そして、母の点滴の抗がん剤の様子をみて思った事がある。
一緒に病気と闘う、本気で病気を治そうと頭をぎゅーーーーーっと振り絞って、考えて、行動して、常に前からでも後ろからでもなく、隣で一緒に剣を振りまくってくれるパートナーの存在の必要性を痛烈に感じた。
決めるのは自分。
結局、自分。
でも、1人だと決意がグラグラっと揺れる事がある。
誰でもいいから、とにかく自分が心から、この人は私を本気で助けようと心底思っているんだ、と自分が思える人を戦いのパートナーとして選ぶべきだ。
パートナーは自分で選ばなきゃ。
そして、最終的な結論は、自分で出さなきゃ。出す。と誓った。自分に。
病院を選ぶ時に相談した医師に、また聞いてみた。そして、今回は自分の担当医師にも。
「自分なら、この抗がん剤を点滴しますか?」
言葉の発し方は色々だったが、発した言葉は全員同じだった。「受ける」、と。
私は、できるだけ自分で自分の病状についての説明を熱心に聞き、理解した。
薬については、薬剤師ではあるが抗がん剤を取り扱ったことがなかったので、調べた。
最終的な答えが出た。迷いはない。ないと思えるくらい考えた。
決意した。
私は点滴の抗がん剤を受ける。
禿げる。
カツラをかぶる。
生きる。