10年の腹痛後に、とうとう病院へ行きました。近所の消化器内科クリニックです。
胃と大腸の内視鏡検査を受けた後、まあ大丈夫だろうと思いながら結果を聞きに行きました。その驚きの結果とは??
アラフォー・40代・薬剤師・主婦 がん闘病ブログ(2) のはじまりです。
胃と大腸の内視鏡検査で予想しない結果がいきなり発覚!どんながん告知だったか?
胃と大腸の内視鏡検査を受けました。
後日でる結果を聞くため、仕事が休みの日に予約し、帰宅。
まあ、いつも通り、一応検査してみたけど何もありませんでしたーとなるよね〜?くらいに思いながら、予約日を待ちました。
そして、予約日当日。
大丈夫と思いつつ、少し緊張しながら、診察室に入る時間を待ちました。
そして、呼ばれました。診察室に入ります。
早速結果発表。
まず最初に、
「腸はキレイですね、腸はキレイなんですが。。。」と先生。
次の言葉を待つ私。
「胃がなんかシワシワしてますよね。これは、なんかおかしい。」
「もしかしたら癌かもしれない」、と。
「少なくともステージⅠではない」、と。
するっとサラッと出てきた言葉。
全く想像していない結果。
私が薬剤師である事を伝えてあったからか、とてもあっさりと発表があった。
なので、最初に「もしかしたら癌かも」と聞いた時は、『初期の癌で、早期発見できたのかな?』と思ってしまった。
でも、「少なくともⅠではない。」ということは、Ⅱ以上ということよね。。。
これが、がん告知 というものだという理解もこの時はできなかった。
がん告知 について、ドラマ等の影響なのか、もっともっと重い雰囲気を想像していたのだが、それとは全く違うものであった。
胃と大腸の内視鏡検査で予想しない結果がいきなり発覚!告知の瞬間、私はどう思ったか?
『え??』 と思った。
そんなのは、全く全くま〜〜〜〜〜〜〜〜〜ったく予想していなかった。
99%、今までの人生と同じように、『何もなかったですね〜〜〜』と言われるだろうな〜と思っていましたよ。1%くらいは病気の事を考えたが、癌とは思わなかった。
しかも胃。
もともと、30代後半で胃炎の指摘があり、その後ピロリ菌陽性が判明し、40歳程で除菌の薬を飲んだ事がある。だから、胃はもう大丈夫だと思っていたし。
マジで。
静かーな静かーーーーーーなパニック!!
思ったより動揺は少なかった。表面的には。外から見たら淡々と見えたと思う。無表情な私。
でも、心はバックバク。
心臓だけが、私の体とは離れた所で、一人で蟻地獄の底を這いずり回っている感じ。
発した言葉は忘れてしまった。『はあ、そうですか。。』みたいな感じだったか?たいした言葉も悲鳴も出ない。
なんで、何も喋れないのだろう。
予想していない。
覚悟していたわけでもない。
実感がなかっただけかもしれない。
正直よくわからない。
ただ淡々と受け止めた。突然のその告知を。
なんだかよくわからない。
よくわからないが、
何年か前に癌で亡くなった母の闘病時代のことが、自然と脳裏に溢れてくる。
母の時に良かった事、反省した事、がぐっちゃぐちゃに混ざって脳みその下の方から湧き上がってくる。
目を背けずに、立ち向かわなきゃ。
ちゃんと自分の頭を使って考えなきゃ。
とグッと帯を締め直す気持ちでした。
とはいえ、
自分がガンなんて考えたことないし、数年前に母が60代で癌で亡くなっていたが、自分が40代でその可能性がある状態になるなんて、本当に全く思ってもみなかったし、子供は小学生と未就学児だし、フルタイムで薬剤師やってて、住宅ローン(がん特約とか無し)もあるから仕事やめられないし、がん保険なんて入ってないし、本当に現実がよくわからない、把握できない。。。。。
という状態。
そこから1週間で3キロ減。
食べられないとも食べたくないとも思っていなかったのに、気づいたら痩せていた。
ああ、私やばいのかも。よくわかんないけど、やばいのかも。
全く気づかなかった。
自分の体なのに!!
自分の体の訴えに何も気づかなかった!!
気づいてあげれなかった。
自分の知らない所で、ひっそりと確実に進行していたのだ。
何で気づかなかったのだろう?
何に気づかなければいけなかったのだろう?
働いてなんていられないって思ったけど、一応目処がつくまで辞めるなんてありえないし。
でもダメだ。
仕事はある程度なれてるし、緊張感もあるし、やれるかも。やらなきゃ。
でも他の事は本当に何もできない。。
胃と大腸の内視鏡検査で予想しない結果がいきなり発覚!しばらくして、思ったこと。
告知後しばらくして思った事
検査結果を表面上淡々と聞きつつ、内心バクバクの心臓を抱えた私。
夫にはすぐ電話をした気がする。結果を書いた封筒か何かを手に握りしめながら。
「癌っぽい。少なくともステージ1ではないっぽい。。」と、開口一番に伝えたと思う。
「うん、。」とだけ言ったかなぁ、夫は。
これからどうしよう。どうやって治療に向かおうみたいな話を電話でユラユラと話した気がする。話しながら少しずつ落ち着いてきた。そして、買い物をする気力もなく、ゆっくりゆっくり帰路についた。
不安もありつつ、でも、まだ大丈夫という気持ちも共存している状態だった。
まだ詳細があまりにもわからないため、仕事や生活をどうするかについて具体的に考える事は全くできなかったが、常に母の癌による死は念頭にあった。
まだ、全然どうなるか、どうしたらいいか、わからない。
ただ、今言える事は、自分の体が良くなるために、最善策を考えて前に進もう。
それしかない。
やるっきゃない。
元気満々にこのセリフを言える状態ではないけれど。
次の課題は何か? どこの病院で治療するか、かな。
正直、告知をクリニックでわかった瞬間に言ってもらえたのはとても良かった。
なぜなら、「次にどの病院でがん治療をするのか?」と具体的な病気に合わせて病院を選ぶ事ができるからだ。ここが曖昧だと、選ぶ病院も曖昧になってしまう。
何せ、“癌”の場合、病院の名前に、“がん” と入っている事も多いのだ。
告知を受けた後、言いたい事
血縁者に癌既往歴にある方や、40歳を過ぎた方は、予防線を張った方がいいと思います。
予防線とは、『いつか癌にかかるかもしれない、という覚悟』かなぁ。
では、覚悟とは何でしょうか。
自分がもし、今癌とわかったらどうするか?どうしたいか?
もし、1年後癌とわかったら?
もし、5年後癌とわかったら?
と、リアルに想像して、自分の今後の人生をどうしたいか、どうすべきかを考え続ける事だと思う。
道は未知。良くも悪くも、常に可能性は沢山。
自分の為に生きているか、誰と生きたらいいか、誰とだったら治療に立ち向かえるか、どう生きたら自分が幸せだと感じられるか、
こんなことを考え続ける事が大事なんだと思う。
生きている時から、『死ぬ覚悟』をする事は、とても勇気がいるし、逃げたいけれど。
逃げると逃げただけツケは溜まってしまうもんだ。
告知後の周りの反応について、思った事
家族の反応は、特に想像していなかったけど、ある意味想像通りだった。
私の体を治そうと本気で思ってくれてる、と感じたら、それ以外は特に要望も感想もない。
私の体を治そうと本気で思っていると、私が本気で信じられたら、それ以上に大事なことなんて、ない。
職場ではどうか?
職場は難しい。
仕事の関わり度合いもさまざまだし、個人間の感情もさまざまだ。
私はできるだけ現状をストレートに伝えた。
事務的な面で、私の状況を最大限考慮してくれた方に感謝し、病気の面で最大限相談に乗ってくれた方に感謝し、退職する事を悲しんでくれた同僚に感謝し、少ない言動で大きな配慮をしてくれる同僚に感謝した。
でも、配慮が無いどころか、私の負担が増える行動を取る人もいた。それは体が辛かった。私も病気を言い訳に、体の動きを鈍くしてはいけないとは思っているのだが、そうもいかない部分もある。でも、世の中そんなに甘くない。
私の体の負担を軽くしようと思いながらとってくれる行動は、どんな言葉にせよ動きにせよ、とても有難いものであった。
・胃内視鏡検査結果 :シワシワでパッと見全体的に汚い。
・大腸内視鏡検査結果:何も無し。
・告知内容:ステージ2以上の胃癌。
・告知方法:クリニックにて、内視鏡検査結果を伝えながらサラッと発表。