早速クリニックの先生に、紹介状を依頼。
同時に大病院への予約も行った。
予約時に、電話で何を話したかは全く覚えていないが、なんだかとても一生懸命応対してくれたような気がする事だけ印象に残っている。
人見知りで常に自分の周りに分厚い壁を纏っている私には、対応がいいとか悪いとかよりも、目の前の患者の事を見ようとしているか、聞こうとしているか、何とかしようとしているか、の気合いが感じられる人との対話が一番心地良い。
働く時の視点が、上司ではなく患者の人。だって、病院は患者のためのものでしょう?
それは、言い方のキツさとか柔らかさとか、そういう表層的な部分とは全く比例しない。
そういう意味でいい印象。ここで治療しようと思う第一関門(電話予約)突破。
第二関門。 それは、診察日。
初診の日が来た。やって来てしまった。
新しい場所や人は、私にとって恐怖と緊張の対象でしかない。
朝から心臓ドッキドキバックバク。
朝食を食べ、夫の運転で病院へ到着。受付。
初診から1年半たってこのブログを書いています。記憶が曖昧な部分も多々あります。が、確か、初診日に受けられるだけの検査は受けまくったような気がします。とにかく忙しく一日仕事だったような。
呼出が鳴るまで、椅子に座って待ちます。
ピリリリリっと鳴りました。
さあ、診察の時間です。
親しみの持てる医師が座っていた。ここだけの話、ちょっと夫に似てる気がした。緊張感弱緩和。
そして早速・・・
「癌でしょう」、と。
「検査しましょう」、と。 ←がん進行状況確認の為の検査
「よくわかりましたね」、と。
私の場合、痛かったのは左下腹部。
胃ではないその部分は、何故痛いのか?
そこも念頭に入れながらのより詳細な検査。
出来る限りの検査が既に予約されていました。
患者(私)は、そのスケジュールに従って動くのみ。
外来は一階と二階。
院内一階には、東京會舘のレストラン・タリーズ・ファミマがあり、座席も数多くあるので、気分転換しながら検査を受け続ける事ができます。
そして、全ての検査を終えました。
再び診察室からの呼び出しを待ちます。
ピリリリリリリリっと鳴りました。
さあ、検査結果発表の時間です。
ドキドキしながら診察室に夫と入りました。
『ステージⅡではありません。』
『ⅢかⅣかを確認する検査を入院で行いましょう。』
・・・Ⅱがよかったなあ。結構重たいんだなあ。。。と思ったような。。。
パニックになったり、フリーズしてぶっ倒れたりはしなかった。
その後少し話をして、
最後に夫が一言。
「これは、スキルスですか?」
もしかして、夫が事前に色々調べていたのだろうか、その時に見たスキルスの画像と似ていたのだろうか?
突然の質問にびっくりしながらも帰って来た答えは、、
『スキルスかそうでないかと聞かれたら、スキルスでしょう。』
そ、そ、そ、そうなの??????
スキルスって。。。。
いろんな不安が、頭の中をWi-Fiの電波のようにスパースパーと走りまくる。
(カズレーザーは浮かばなかった。一緒に浮かんだら、少しはリラックスできたかもなのに。。。)
しかもスキルス。。。まじか。。。
スキルスじゃなければ大丈夫かもと先日思っていたばかり。
知り合いに、スキルス発覚後半年でこの世を去った人がいた。どうしても頭に浮かんでしまう。
なので、もう、もう、なんか、わからない、、、、、、。。
私は、叫びも泣きもしなかった。
なんかよくわからないっていう感じしか覚えていない。
夫には会社を休んで同席してもらっていた。
この時もし1人だったなら、検査で帰りが遅くなった事も相まって、無事に帰宅できない程フラフラだったと思う。
ステージⅡではない。= 最低でも胃を全摘。脾臓も全摘。
後は、数日入院して、腹膜播種の検査をすることになった。
腹膜播種が陰性ならステージⅢとなる。
しかし、それはあくまでも現時点でのことであり、見つからない=絶対ないとは言えない。という説明も受けた。
説明は理解できる。
生きる覚悟。死ぬ覚悟。
子供を産み、母を癌で亡くし、高齢で不妊治療と再出産の直後に自分の癌発覚。
どう生きるか、どう死ぬか。
考えるしかない人生になった。
がん研では、患者数も多いのだろう。先生の話し方は、淡々としている。
多分、全ての患者に余計な心配の負担を与えないようにしているのだと思う。
でも、ステージⅢかⅣであるという真実は、矢のように私の脳天を真上から足の爪先までブッ刺してくる。
そして、問題の左下腹部の痛みの原因は、わからない。問題なさそう、という事。
この報告は、唯一の良かった事。まだ油断ならないが。