10年以上、ひと月に一度程の腹痛がありました。場所は左下腹部です。
毎回数日でおさまるので我慢し続けていたのですが、2年程前とうとう病院へ行く事にしました。
アラフォー・40代・薬剤師・主婦 がん闘病ブログ のはじまりはじまり。
40代でスキルス胃癌発覚。
胃と脾臓を全摘した主婦薬剤師。
実体験の闘病と、
日々の不具合と向き合う食事を
リアルに紹介します。
この記録が参考になりますように‼︎
10年の腹痛(初期症状?)で、なぜ病院に行かなかった?過去を振り返る。
〜10代の生活と体調
未就学児時代は、原因不明の嘔吐や扁桃腺炎で、よく病院に行っていました。小学生を過ぎたあたりから特に大きな病気にはならず、病院にはほとんど通った記憶がありません。
この頃の両親も、大きな病気・持病等は無かったように思います。
20代の生活と体調
薬剤師としての知識や免許が必要な仕事に従事しました。
新卒時は研究職に就きましたが、その後病院に転職。
調剤は、従事する全員が同じレベルの知識や技量が求められます。しかし、必ずしも全ての職場で新人育成をしてもらえるわけではありません。新人研修制度がしっかりしているところでは、個人差がありつつも、ある程度高いレベルでの同等能力が備わります。そうでないところでは、個人間に大きな開きがでます。
私は中途新人のため新人研修は受けられなかったので、自分で結構勉強しながら働く毎日でしたが、幸い体を壊さず病院に通う事なく毎日を過ごしました。
30代の生活と体調
もっと個人差を感じる仕事をしてみたいと思うようになります。
絵を書くことや裁縫が好きだったので、昼間働きながら、夜間専門学校に通いました。専門学校卒業後6年半程、アパレル企業でファッションデザインの仕事に就きました。
アパレルの世界は、医療系とは当然全く違います。
仕事内容の違いは、想像しやすいかもしれません。
私が驚いたのは、デザイナーの地位の低さです。アパレル企業におけるデザイナーの地位は想像以上に低く、もちろん初任給もしかり。薬剤師の時はしたことがなかった掃除やゴミ捨ても
日常に行います。アラサー新人にはきついことだらけでした。
でも、でも、とても楽しいと思ったのです。
そして、同じ企業内でも、売れ売れのデザイナーになると、調剤系薬剤師の給料を上回る給料になる人もいます。
ですが、薬剤師の時のように、一日の仕事の量に明確な区切りはなく、必然的に労働時間も長くなってしまいました。
私は、時間に線引きをして働けるタイプではなかったので、体には非常に負担だったかもしれません。
丁度、この辺り(アラサー)からの10年余、1ヶ月に数日程度の左下腹部の痛みがある状態が続きました。
生理と連動はしているとも、していない、とも断言できず。ただ、我慢できる痛みが、月1回続く状態。元々病院嫌い、薬嫌いの私は、我慢できるものは迷わず我慢する方を選びます。ひたすら我慢し続けました。
健康診断では、特に問題の数値がでることはありませんでした。
30代では胃の内視鏡は1度受け、胃炎の指摘はありました。そのうちピロリの検査もやった方がいいかもねーという感じで終了したと思います。胃炎の症状はありませんでした。薬も無し。
その後、結婚を機に退職。やっと体がラクになり結婚できたと思ったら、今度は 不妊治療・出産直後からの母のがん闘病・母の死・祖父の死・親族との裁判 を立て続けに経験。
30代後半は、「生きること」と「死ぬこと」をイヤというほど考える状況になりました。
自発的に考えたというよりは、生と死の箱に無理矢理突っ込まれて、見えない大きい何かにブンブンぶん投げられている感じでした。
母の死を目の当たりにしてから、
「また薬剤師として働こう」
と思いたちます。もう絶対ないと思っていたのに。
お金の不安や、薬剤師免許を持っているのに薬の知識がない不安(現場を長く離れる事による、忘却&新薬の知識欠落)もありました。もうすぐ40歳という時に、医療現場に戻りました。
10年の腹痛(初期症状?)の後で、なぜ病院にいく決意をしたか?
40代の生活と体調
40代に入りました。
何年かは30代と変わらない体調で、外観の老化を感じる程度でした。(40になってからの外観の老化はジェットコースターなみに急降下するなぁと個人的に思います。。)
ところが、だんだん痛みを感じる長さが、ひと月に5日、7日と増えていきます。
仕事は忙しかったですが、時間の区切りはきっちりしていました。
ですが、痛みの頻度は徐々に高まり、一ヶ月以上痛みが続くようになります。さずがにこれはまずいのではないか?と思いました。
とはいえ、今まで大事に至った事はないから、まぁ大丈夫だろう。でも、母の事があったし、念の為病院へ行っておくか。という程度の気持ちでしたが。
しかし、私にとって病院へ行く事はとても気合いがいること。
なぜ来院に気合いがいるかというと、団塊の世代を親にもつ私には、家事より仕事を優先し少々しんどいくらいで会社は休まない、という今考えるとクソみたいな生真面目根性が染み付いていたからです。
毎日痛い痛いと夫にだけ訴えていました。
40代、とうとう病院へ行ってみた。
病院に行け病院に行けと何度も言われ、(今考えると、言ってくれた。)しぶしぶ、とうとう近所の消化器内科のクリニックへ行くことに。
消化器内科を選んだのは、この10年で産婦人科はお世話になったことがあったので、産婦人科ではないとすると消化器か?と思ったからです。そうでなければ、左下腹部という場所的に、初めに産婦人科に行っていたと思います。不安がある場合は、当てはまりそうな診療科を、全て回った方がいいと思います。
早速予約。
簡単な検査をしましたが、「特に問題はなさそうですね。」という結果に。
「しかし、40歳をすぎているし、長く痛みが続いて原因不明なのもスッキリしないので、一度内視鏡を受けてみては?」と先生から提案ありました。
そこは、クリニックなのに胃と大腸の内視鏡もやってくれる病院だったのです。腹痛の原因不明問題を抱え続けるのも嫌だし、やはり母の癌の事が頭に常にあるため、即受ける返事をしました。
胃と大腸の検査を同日にやることに決定。検査食や食事制限が嫌いな私にはきつい検査準備が必要でしたが、母の事を思い出しながら奮起しました。
母は、検査と名のつくものが大体嫌いでした。タバコは吸わず、お酒も少量しか飲まず、食材に気を遣った丁寧な食事を作り、検査は一度も受けず。結果、60代で上部食道がんで咽頭まで切除後、永眠。
あんなに食事に気をつかっていたのに。あんなに、生活に気をつかっていたのに。。
ただ検査をもう少し早目に受けていたら、もう少し早い段階で癌を発見する事ができたかもしれなかった。。
後で後悔するよりは、一時の食事や、超絶下痢や、吐きそうに苦い内視鏡時の麻酔も我慢我慢、、。。。
検査食は、グリコの「エニマクリン」。10年以上前の、検査食は不味いという噂にビクビクしていましたが、割と食べることができてホッとしました。仕事場でも気兼ねなく食べられるように昼食携行タイプで、お昼はビスコ付き。
まだ死ねない、と思えば検査準備くらい 「へ」 でもないよね。。。と思いたい。
不安な症状がある時は、当てはまりそうな診療科全てに行ってみて下さい‼︎
- 初期症状 :左下腹部痛
- 検討診療科:婦人科、消化器内科