腹膜播種の検査入院から、1週間後だったか、、?
忘れたのだが、先生が予約を入れておいてくれた早々の日付通りに、全摘の手術を行う事になった。
あまりにも母の点滴抗がん剤の記憶が鮮明で苦しかったのもあってか、
抗がん剤以外の診療内容は全く疑問なく受け入れていた。
なんなら、手術は早くお願いしたい。 という気持ち。
胃と脾臓がなくなるのはイヤだけどね。
美味しいものが大好きで、食べる事が大好きな私の胃として沢山働いてくれて、胃さんには本当に感謝!!
本当にありがとう、私の大事な胃さん。
私はあなたから独立するけど死ぬまで感謝です、と心の中で言い続けた。
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手術の日をむかえた。
今回は1週間以上入院になるので、子供達が心配ではあった。まだ夜泣きもあったし。
でも、ごめんね。かーちゃんは自分の事でいっぱいいっぱい。みんな頑張れ。かーちゃんも頑張る。
手術の日は朝が早い。
当日は家族に来てもらう。
本日手術の人が列をなしている。
そうか、こんなに今日手術の人がいるんだ。
結構いるんだな。私だけじゃないんだな。
みんな頑張っているんだ。
呼ばれた順に手術室に入る。付き添いと言葉を交わし、一人また一人と手術室へ消えていく。
私は、結構いるんだね、とか夫と言いながら緊張感をほぐしつつ自分の番を待っていた気がする。
・・・・・呼ばれた。・・・・・
もうまな板の上の鯉と、気持ちは同化していた。
行ってくる。
と、手術室へ向かった気がする。
広い部屋、スーーっとした緊張感、信頼の安心感。
ベッドに横たわる。
麻酔の医師、ナースさん、名乗ってくれる。
ああ、その時が来たんだな。
そして、記憶はない。
手術は、一瞬で眠りに入ったので覚えていない。
医師に名前を呼ばれて、ハッと目を開けた。
無事に終わったと。無事に。無事だ。
生きてるんだな。終わったんだな。。
管がいっぱいついてるし動けないし、なんか、まだよくわからない感じではある。
麻酔で痛みも緩和中。
移動ベッドに横たわりながら、手術室をでて、夫の顔を見た。気がする。
あんまり覚えてない。
手術後に生きている状態を確認できたらいいんだよな、と思いながら、
虚な意識の中を彷徨っていた気がする。
私は、入院の部屋に連れて行ってもらう。
あとは、日常生活にもどる為の療養と訓練だ。
今は麻酔で痛みが無いが、何時間後には痛みが出るという事だったし。
こんな状態で、痛みにまで耐えられる自信はない。
ひどい生理痛も薬無しで耐える人間だったが、今回はむしろ耐えない。
少しでも痛かったら、我慢せず言おう、と決めていた。
だってさ、今まで本当に我慢して我慢してっていう人生だった気がしたから。
スキルス胃癌になんてなっちゃったんだし、もう我慢するのは無理矢理やめなきゃ。
我慢してしてしまくって、突然ヒステリー爆発起こしてた人生と卒業しなくちゃ。